noteには書けないこと
私のnoteはリアルに繋がりのある人々につながるようになっている。
(ちなみに、検索ワードは「本名 建築」で検索すると出てきてしまう。)
これはひっじょうに困る。
この現象は、Twitterでもあり得る話。
本名のアカウントは、私という人間に紐づきすぎてしまう。
誰も名前や顔もわからないこの匿名性が常々私を救ってきた。
高校生の頃は、好きなアニメやゲーム、歌い手、漫画の「推し」を応援する人々とつながるアカウント。
大学生2,3年は、所謂「鍵垢」で私も極限られた友人のみのアカウント。そして、モバスペブックという、文章サイトでの赤裸々エッセイ。
そして、現在は「裏垢」である。己の欲望のまま呟ける場であり、自分の独り言を誰も私を知らないTwitterの世界に送り出している。
この、デジタルタトゥーは敢えて残していきたい。
しかしながら、このデジタルタトゥーは恥ずかしい。
少し前に、モバスペブックで好きな人について綴った文章を見て引いた。
ああ、恥ずかしい。
あれ、この話題前も書かなかったっけ?