8/29
「は!?良い肉の日」みなさまいかがお過ごしでしょうか?
私はと言いますと、絶賛18時に言い渡された、明日昼までの途方もない資料のまとめ作業をしております……
(おわるのか?これ)
昨日、職場で将来や今のこと、つまりは自分のことについて2000字以内の作文をする事を命ぜられました。
なんだか読まれるのは小っ恥ずかしいですし、優劣は付けない、それがもう優劣つけますとしか聞こえないのです。
この危機を乗り越えるべく、日記再開します。笑
おひさしくしておりました。
みなさま、お久しぶりです。
このブログをよく綴っていた頃は、大学院生か若しくは研究生の頃かもしれません。そんな私は、今ブラックな業界でお仕事をしています。最初こそ興味があり、企画を提案、そんなチャンスをもらっていました。現実はなかなか甘くない。知識という殴る蹴るの暴力。いやあ、しんどい。
という文章を、職場で書いている。
元々知識が足らないのは知っていたし、でもね。うん。難しいよ笑
散々Twitterでは辞めたいと呟いている。
しかし私は本当に辞めたいのだろうか。
たしかに体力的にしんどい部分がある。
上司のおばさんは、私をやたら冷遇するし、もうしんどい。
これでは、ただの愚痴である。
失礼。
背景に見える作業中のイラストレーターの画面が、「仕事しろ」と言っている。だって思いつかないんだもん。文章書くのは止まっちゃうんだもん笑。
よし、今日は勇気をもって帰ろう。(毎日それ)
風間俊介という男は沼か
ここ数日、何かにとりつかれたように風間俊介を見ている。
きっとこれが「推し活」である。
ジャニーズぽくない、ジャニーズであり、苦労人という知識は持っていた。
しかし知れば知るほど、顔が好きになる。
正直性格もわからないし、本人以外知らないし、そもそも人には人の乳酸菌である。
この考察する時間が愛おしい。
彼はあまり自分のことを発信するツールが無い。
ということが、更に沼へとつながる。
追いかけ疲れしないのだ。
(ちなみに風間はコラムの連載をしており、今の彼のことを知れる)
ここだけの話だが、彼の悪役が好きである。
性癖に刺さる。
私が思う彼を語るのはまた別の機会にしよう。
noteには書けないこと
私のnoteはリアルに繋がりのある人々につながるようになっている。
(ちなみに、検索ワードは「本名 建築」で検索すると出てきてしまう。)
これはひっじょうに困る。
この現象は、Twitterでもあり得る話。
本名のアカウントは、私という人間に紐づきすぎてしまう。
誰も名前や顔もわからないこの匿名性が常々私を救ってきた。
高校生の頃は、好きなアニメやゲーム、歌い手、漫画の「推し」を応援する人々とつながるアカウント。
大学生2,3年は、所謂「鍵垢」で私も極限られた友人のみのアカウント。そして、モバスペブックという、文章サイトでの赤裸々エッセイ。
そして、現在は「裏垢」である。己の欲望のまま呟ける場であり、自分の独り言を誰も私を知らないTwitterの世界に送り出している。
この、デジタルタトゥーは敢えて残していきたい。
しかしながら、このデジタルタトゥーは恥ずかしい。
少し前に、モバスペブックで好きな人について綴った文章を見て引いた。
ああ、恥ずかしい。
あれ、この話題前も書かなかったっけ?
10年前の私へ。
3月11日。きっと私の人生で一番色濃く残っている日だと思う。
この日に何をしようか。
私は、学部時代の卒業制作を震災からの復興をテーマにしている。当時は「私には考える責任がある」なんて、思い込みかもわからない正義感で考えていた。
2年前の自分はそれが正解、と思い込んでいた。
しかし、現在思うことは、果たして押し付けではないのだろうか、という疑問。
自分のアンチが居るとするならば、それは自分自身だ。どんどん矛盾に気づく。これはこれとして、新たな答えを今の段階で出したい。そうだ、これを修士で考えてみようか。正直もう見たくない。そろそろあの日から抜け出してもいいのではないだろうか。
よくテレビ番組で、「あの日、あのとき」などと特集番組が行われている。
私はそれを一度も見たことがない。興味がないわけではない。
ただ、10年も経ったのだ。
中学2年生だった私も、24歳。何なら、もうすぐ25歳。
語り継ぐことはもちろん大切。教訓をして、残し、伝えなければ。
ああ、どうしたら良いのだろうか。
そんなことをぐるぐると考えながら、
いつもと同じ、一日を過ごせる幸せを噛みしめる。
10年前の私、頑張ったね、怖かったね。
と彼女を抱きしめてあげたい。
だから、今日は当時聴いていた音楽を聴き、自分と向き合う日にしようじゃないか。
色々の詰め合わせハッピーセット
今日は書こうと思っていた下書きやメモを昇華していこうと思う。
毎日とても忙しいわけでは無いはずなのになんとなく机に向かう時間が少なくなってしまい、いつもの怠惰な人間になっていた。
そろそろ頑張らなきゃいけないらしい。
就活、課題、コンペ、セックス、修士論文、、、、、
(男性との情事を間に挟むとなかなか不格好である)
果たして私は大学院に進み、時間を得たし、人生の含みをもらっているのかもしれない。それならば、思いっきり今しかできないことをしたい。
就活をするために院進をしたわけでもない。
では、今しかできないこととはなんだろうか。バイトか?いやそうではないだろう。
今私がなにを思っているのかを分析し言語化しなければ振り返ったときに意味のない院進になってしまう。これ以上コンプレックスを抱えるのはごめんだ。
きっと荒々しい私と、迷ってばかりの優しくなろうと丁寧に生きようとしている私をぶつけなければならない。
私は、ひとりっ子である。だから自分の世界を作り上げているし、自分の中で会話を繰り広げる事が好きだ。
しかし、その自分を共有できない。それに、素直に感情が出せず甘えたり、欲を伝えられない。
だからこそ、自分が素直に甘えたりできる相手がいた場合大事にするし、様々な他人へ対する自分を使い分けている。
先日四国へ旅行目的で訪れた。
旅の相手は学部2年20歳の際に、今の道へと進みたい気持ちを後押ししてくれた、4歳年上の先輩である。彼は当時修士2年の24歳。
永遠に4つ上の尊敬する人である。
私は彼のことが異性としても、人間としても好きである。
普段は基本的にふざけたことばかり話している。
私の思っていることなどを伝えることは、どうしても恥ずかしくはぐらかしてしまう。
初日の夜、私達は過去の自分をどう捉えているかを真面目に語り合った。
彼の人生観に初めて触れた気がした。
もっとこの人のことを知りたい。そう素直に思った。
(2日目の夜は酔って、貸し切り温泉に2人で入浴し、その後性交渉をするという温泉旅行のド定番を致した)
さて、彼は私にとってどんな自分を作っているだろうか。
子供のようにヘラヘラしているし、真面目なことも、いちゃいちゃする女としての面も、男勝りで負けず嫌いな一人の人間としての面も見せることで使い分けではなく、全て私にしたい。
とりあえず、この思いを彼に伝えて見ようと思う。
結果はどうあれ彼は受け入れてくれるだろう。関係性の変化はあるのか無いのかわからないけれども…
久々に自分の思考を整理しながら文章を打ち込み、
拙く、乱雑な文章ではあるが、これはこれで私の黒歴史として公開してしまおう。
比べてしまう
久しぶりになってしまった。
今日は雨。雨と言ってもしとしと降るタイプの雨。最近はありがたいことにいろんなことがあった。
例えば、作品の共同制作を3件も声をかけていただいたので参加し、そのための昼夜逆転。そして睡眠不足。不摂生。
こんなことが続くと毎回「寿命削ってるのかなぁ」と漠然と思ったりもする。そしてそこまでしてこそ得られる、「生きてるなぁあああ!!!」という感情が好きだ。
しかし、この感情を人にも強要はできない。所謂、ハイになるまでをせず計画的にしっかり予定を維持しつつといった才能を持った子は尊敬するが、正直こちらが辛くなることがある。方向性の違いというやつだろうか。
私は、「忙しい」という言葉はあまり使わないようにしている。忙しいと言葉に出してしまうと自分のキャパをそこで決めてしまっている気がするから。頑張れ私。笑
実は最近の性生活がとても充実している。8月の初めにはじめましての方がとても相性が良かったのである。この事により、誰かとしたセックスを「比べる」という行為を覚えてしまった。
以前私が尊敬している星野源が「比べるのではなく、良いとこところを探す」といったニュアンスのことを言っていた。その言葉に感銘をうけ私も何事もいいところを探すようにしていた。
しかし、セックスという人間の最高に野性的行為に対して「比べる」という定規をみつけてしまった。
逆に、自分のインプットを増やせたからこそ、定規ができ、「比べる」ことができるのかもしれない。
ちなみに、星野源はこうも言っている。
「行為が終わったあと、自分の性器を先に拭くようなやつはやめておけ」と。
全男性、全女性のみなさんどうぞ参考にしてください笑